金光邦三
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富山県下新川郡魚津町(現魚津市)で生まれた[3][注釈 1]。1918年立命館大学法律科卒[4]。弁護士となり、神戸市議、兵庫県議を経て、1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙(いわゆる「翼賛選挙」)で兵庫1区(当時)から翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選する。
戦後の1946年(昭和21年)1月19日に魚津町長に就任するが[5]、推薦議員のため、公職追放となった[6]ため、同年10月2日に町長職を退いた[5]。その後は富山県下新川郡下野方村(現:魚津市)で弁護士を営んでいた[7]。1951年(昭和26年)追放解除[8]。
追放解除後の1952年(昭和27年)4月1日、合併により魚津市が発足、市長選挙に立候補したが、候補者は金光一人のため、無投票で当選した[1][9]。5月10日に正式に就任[1][9]。就任から2ヶ月後の7月に大水害が起こり[1]、翌年9月にも同じように大水害に見舞われた[1]。そのため、災害に強い都市計画を迫られた。その一方、上水道の工事に着手し[1]、市内に日本海側最大の市立水族館が開館した[1]。合併から2年後に魚津市は「優良合併市」として表彰された[1]。魚津市長は1期務め、1956年(昭和31年)に勇退した。
脚注
参考文献
- 『海運興国史 附錄』海事彙報社、1927年。
- 『現代のあゆみ』魚津市史 下巻、魚津市史編纂委員会編、1972年。
- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第2巻、歴代知事編纂会、1983年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
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