金光鎮

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金 光鎮(キム・グァンジン、朝鮮語: 김광진1927年5月12日 - 1997年2月27日)は、朝鮮民主主義人民共和国軍人政治家人民武力部副部長、朝鮮労働党中央委員会委員、朝鮮労働党中央軍事委員会委員、朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員など要職を歴任した。朝鮮人民軍における軍事称号(階級)は次帥。革命第1世代から革命1.5世代に分類され、朝鮮戦争で戦功を立てた[1]金正日を掌握する際に重要な役割を果たした。

チョソングル 김광진
漢字 金光鎭
発音 キム・グァンジン
日本語読み: きん こうちん
概要 金光鎮, 各種表記 ...
金光鎮
各種表記
チョソングル 김광진
漢字 金光鎭
発音 キム・グァンジン
日本語読み: きん こうちん
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経歴

1927年日本統治下の平安南道平壌府に生まれる[1]。金日成とは6親等離れた族弟に当たるという[2]。解放前は労働者であった[1]万景台革命学院卒業[1]1950年に勃発した朝鮮戦争では砲兵の大隊長として参加し、ソウル会戦などで部隊を指揮し洛東江まで進撃した[1]。終戦後の1954年には金日成軍事総合大学で教育事業に参加した[1]1969年に中将に昇進し[1]、砲兵司令官に就任すると、10年の間砲兵の分野を担当した[1]1972年最高人民会議第5期代議員に選出され[1]1980年に開催された朝鮮労働党第6次大会朝鮮労働党中央委員会委員候補に選出された[1]1984年には第5軍団軍団長を経て[1]、12月に人民武力部副部長に就任し、党中央委員会委員に昇格した[1]1990年から開始された南北首相会談に参加するため、韓国青瓦台を訪問した[1]1992年4月に次帥に昇進した[1]

1994年金日成主席が死去した際には追悼演説を読んだ[3]1995年朝鮮労働党中央軍事委員会委員に選出され[1]朝鮮労働党の機関紙、労働新聞金正日への軍部の忠誠を誓った文を寄稿した[1]。同年10月に新設された人民武力部第一副部長に就任し[1]金日成勲章を受賞した[1]1997年2月27日に病気の為、死去[3]。6日前の2月21日崔光人民武力部長が死去し、部長候補に取りざたされている中でのことだった[3]

エピソード

1990年に南北首脳会談に参加するため、ソウルを訪問した。軍縮交渉を行っている中で軍帽を被らずにエレベーターに乗ったところ、延亨黙首相から「帽子をかぶらないことも軍縮だ」と言われ、爆笑された[4]

脚注

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