金原亭馬生 (5代目)
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| 5代目 | |
| 本名 | 宮島 市太郎 |
|---|---|
| 別名 | 赤馬生 おもちゃ屋馬生 |
| 生年月日 | 1864年 |
| 没年月日 | 1946年4月15日 |
| 出身地 | |
| 師匠 | 4代目金原亭馬生 3代目春風亭柳枝 5代目林家正蔵 3代目柳亭燕路 |
| 弟子 | 9代目金原亭馬生 |
| 名跡 | 1. 金原亭小馬三郎 2. 春風亭枝三郎 3. 林家正朝 4. 柳亭小燕路 5. 5代目金原亭馬生 6. 浅草亭馬道 |
| 活動期間 | 1878年 - 1945年0 |
| 活動内容 | 素噺 |
| 家族 | 浅草亭馬道(実父) |
| 所属 | 柳派 三友派 |
5代目金原亭 馬生(きんげんてい ばしょう、1864年(元治元年) - 1946年4月15日)は、明治から昭和にかけての落語家(生年は逆算による)[1]。本名∶宮島 市太郎[1]。
1878年に[要出典]4代目金原亭馬生に入門し、小馬三郎を名乗る[1]。11月に麹町万よし亭で初高座。1889年頃に[要出典]3代目春風亭柳枝門下で枝三郎に改名し、さらに5代目林家正蔵門下に移って正朝に改名した[1]。正朝改名後は旅回りに出る[要出典]。
3代目柳亭燕路門下で柳亭小燕路に改名した[1]。1899年8月、5代目金原亭馬生を襲名して真打に昇進した[1]。このころから素噺、講釈のネタなどのじっくりなネタをやっていた。一時桂文楽の襲名ももくろんだが実現しなかった。[要出典]
1904年から上方の三友派[要出典]に活動拠点を移す[1]。大正中期には帰京するが東京にも馬生がいたのでこの馬生は寄席でのめくりの色を赤字に変え区別したため「赤馬生」と言われた(東京に前からいた馬生は「黒馬生」)[1]。
晩年はセミリタイヤ状態で父の名の[要出典]浅草亭馬道と改名している[1]。ただし馬生の名でラジオに出たこともある[要出典]。