金陵は、旗本である大森勇三郎の家臣であり、谷文晁の下で画を学んだとされるが沈南蘋風の画風は諸葛監から学んだともされる(『古画備考』)。花鳥画を得意とした。
崋山の『退役願書稿』によれば、崋山ははじめ白川芝山に入門したが授業料が払えず2年で破門されてしまう。崋山17歳の文化6年、大森勇三郎の妻が田原藩主である三宅家の出身であることを縁に金陵に入門したという。崋山の『寓画堂日記』や『謾録』にも金陵についての記述がみられる。椿椿山や滝沢宗伯も金陵の弟子であった。
芝伊皿子の長応寺に葬られる(のち、同寺が東京府荏原郡平塚村で復興するにあたり移葬)。