1950年の第2代第8回第40次国会本会議においては、「(朝鮮戦争中に脱出を試みたものの)南下できない者、洛東江を渡れなかった者はまるで罪人のように扱われるため、大変不快に思います。もちろん自首した議員は粛清しなければならないが、自首しなかった議員は自首した議員と全く同じように扱うことは難しいと思います。したがって今後審査される時は、南下した議員と(京城に)残留した議員とは言わず、自首議員とおっしゃってください」という旨を述べた[6]。また、1952年の釜山政治波動さ中の第12回第64次国会本会議において、任永信が発言している途中、席上から「議長、緊急な事態が起きました」と言い、国会議員50名ほどを載せたバスがトラックによって勝手にけん引され、どこかに連れていかれそうになっているという旨を、出席していた議員の中で議事録上最初に知らせ、同時に行かせないような緊急対策も求めた[7]。