大地主神社
万治2年(1659年)から元禄3年の間の有川・魚目海境論争で、3度に渡る江戸公訴の資金を賄うにあたって、上有川・高崎地区の百姓たちは山から薪材を切り出し、これを宇久島の鯨組に売却して不足分の公訴資金に充当した。
この時に、百姓たちの安全を祈願して大地主神を勧請し、金比羅神社・三の鳥居から右上に上った場所に奉祀。現在では2基の石祠が祀られており、毎年2月17日の例祭の後には上有川・高崎両地区の役員が会合して、その年の山や畑の作物等に関する諸取り決めがなされている。
地区の住民からは「御岳様(ちょんたけさま)」と呼ばれており、「御岳」とは当社が鎮座する桜ヶ岳の古称であると伝えられている。