全羅北道全州出身。新興学校(現・全州新興高等学校)、全州師範学校(現・全州教育大学校)を卒業。その後教員を務めながら詩作。1925年朝鮮文壇への『月の国』と1926年東亜日報への『新しい日の祈願』で文壇に登場し、この時期はほかに『出帆の歌』、『5月の歌』、『変節者よ!行け』、『姉の臨終』等がある。1936年に詩専門誌『詩建設』に同人として参加し、1940年に金嵐人との共同詩集『青色馬』を刊行した。そのほか、韓国芸術文化団体総連合会全羅北道支部長を歴任した[1]。自宅にて84歳で死去した[2][3]。