金瓶村
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地理
沿革
- 1873年(明治6年) - 金瓶村が誕生。世帯数は119世帯、人口922人[1]。
- 1874年(明治7年) - 金瓶学校開設
- 1878年(明治11年)11月1日 - 郡区町村編制法が山形県で施行され、村山郡のうち金瓶村を含む7町84村が南村山郡の行政区画となった。
- 1881年(明治14年)10月1日頃 - 明治天皇が巡幸
- 1887年(明治20年) - 学令改正により、金瓶学校から金瓶尋常小学校に改称。
- 1888年(明治21年) - 守谷茂吉(斎藤茂吉)が金瓶尋常小学校に入学。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、堀田村(後に蔵王村に改称)へ編入。
- 1956年(昭和31年)12月23日 - 蔵王村が山形市に編入。
- 1957年(昭和32年)3月21日 - 旧金瓶村域は山形市から分離し上山市に編入された。小学生は上山市立中川小学校に転入、中学生は上山市立中川中学校に転入した。
その他
- 「金瓶」の名は明治4年頃から使用されており、その以前は「金谷」と呼ばれていた。蔵王川を挟んだ南側にも「金谷」と呼ばれる地域があり、紛らわしさを避けるため当地を「金瓶」と改称した。「金瓶」とした由来は二つあり、一つ目は、かつて当地に三瓶と名乗る資産家がおり、村の中で困りごとが起こると三瓶家では私財と投じて助けたことから、恩恵を受けた村人が三瓶宅の姓を後世に残そうと「瓶」を採用した説、二つ目は、宝泉寺の裏手に金谷窯の窯跡があり、江戸時代後期に瓶を量産していたことから「金瓶焼」と呼ばれ、それを村名にした説がある[1]。
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
- 宝泉寺
- 金瓶学校