安土桃山時代、頼栄によって開山された。隣接する衾村東根の氷川社(氷川神社)の別当寺であった[1]。
1874年(明治7年)にいったん廃寺になり、一時は小学校(後の目黒区立八雲小学校)の教室として使われた。檀家総代らによって1883年(明治16年)に再興された[2][1]。
当寺には不動明王の木像があるが[注釈 1]、戦後の調査で、その胎内から願文と写経が発見された。願文の日付は「応仁2年(1468年)8月7日」とあり、大和国山辺郡(現・奈良県天理市一帯)の毘沙門堂から運ばれたものと判明した[1]。