金賛汀
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京都市上京区生まれ。父は1924年、母は1927年に慶尚南道から織物工として働く為、日本にやってきた。両親と母方の祖母、弟、妹の6人暮らしだった。通名は金山(かねやま)で、祖母は汀児(ジョンア)と呼んでいた。1943年に京都市立成逸小学校に入学。1944年に父の仕事の為、石川県江沼郡柴山村(現在の加賀市)に移り、柴山小学校(現在の加賀市立湖北小学校)に転校。南雲忠一の国葬の際、連絡がなく喪章を忘れると、非国民と罵られ殴られた経験がある。
戦後、再び京都の成逸小学校に戻り、小5の春に京都市内の京都市立梅津小学校に転校、小6の時、再び石川県に戻り、片山津小学校、片山津中学校、石川県立大聖寺高等学校を経て、朝鮮大学校に進む。高校では漫画家の竹本みつる(竹本満、1936年12月16日‐、神戸市生まれ、加賀市育ち)と同級生だった。高校時代までは金山賛汀(かねやまさんてい)の通名で、本名を名乗るようになったのは、本名以外厳禁の朝鮮大学校以後のこと[3]。
朝鮮大学校卒業後、統一評論社の編集次長等を経て、ノンフィクション作家。韓国・朝鮮問題のほか、いじめ問題などで著作多数。かつて朝鮮総連に身を置いていたが、金日成や北朝鮮への批判でも知られる。