関屋戊辰戦争から90年余りが過ぎた昭和30年頃から砂丘として残っていた金鉢山を公園化する計画が決まり、麓にあったアカシアの木は伐採され、山頂を中心とした約半分にあたる部分を切り崩し平地として公園建設が始まった。砂地の山は関屋戊辰戦争当時からそのままの状態で手をつけられておらずに残っていた事から、公園建設工事中、埋葬されていた新政府軍の兵士の土葬と思われる遺体の入った壺が多く発見され人骨や、刀剣等の遺品などが多数出土した。現在も金鉢山の残った半分はそのままになっており、出土していない遺骨が眠っているといわれている。1959年(昭和34年)11月に公園が完成し、当時の新潟市長の渡辺浩太郎による記念碑が建立されており、
- 「戊辰の役」の
- 戦場跡に
- 児童公園を作りました。
- 子供達の楽しい
- 遊び場になるよう
- 祈ります。
- 昭和三十四年十一月
- 新潟市長 渡辺浩太郎
と記されており、戊辰戦争の歴史が刻まれている。