釜屋伊兵衛

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釜屋 伊兵衛(かまや いへえ、生年不詳 - 文政7年(1824年7月[1])は、江戸時代中期から後期の下野国栃木の商人。本姓は善野氏。「釜伊」と通称された。

釜屋善野氏は18世紀半ば頃に近江国守山から栃木に移住した釜屋喜左衛門(初代喜兵衛)に端を発する一族で、伊兵衛は3代目喜兵衛の弟が新たに分立したものと考えられている。初代喜兵衛が新たに興した釜屋佐次兵衛家も含め、釜屋三家と並び称された。伊兵衛は栃木中町(現・栃木県栃木市万町)に居を構えて古着屋、後に呉服商を営んだ[2]

喜多川歌麿と交流があったことが知られており、栃木逗留中に製作された『深川の雪』『品川の月』『吉原の花』三部作「雪月花」は伊兵衛の依頼によるものであるといわれており、描かれる女性の着物にはいずれも釜屋の定紋「九枚笹」が描かれている[3][4][5]。また甥にあたる通用亭徳成(釜屋喜兵衛)や住吉浦近ら在郷の狂歌師とも交流があった[6]

文政7年(1824年)没。葬地は菩提寺近龍寺戒名は雲根山東誉石亭居士。子孫も明治維新まで代々、伊兵衛を称して栄えた[7]

登場作品

脚注

参考文献

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