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鈴木傳六

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鈴木 傳六(すずき でんろく、1896年〈明治29年〉7月29日 - 1984年〈昭和59年〉5月28日[1])は、日本の実業家、政治家。山形市にある菓子製造メーカーでん六の創業者。政治家としては山形市議会議員(1期)や山形県議会議員(4期)を務めた。

経歴

1896年(明治29年)7月29日に山形県山形市上町に誕生。山形市立第二小学校卒業、山形県立山形中学校を中退[2]。兄が始めた焼き麩づくりを手伝った。

1915年(大正4年)に近衛歩兵第2連隊入隊、師団の銃剣術大会で優勝した。陸軍上等兵となる。

1922年頃の26歳の時に妊娠していた妻を実家に預け単身上京し、神田の菓子種屋で働いた[3]。関東大震災に遭遇し帰郷。

1924年(大正13年)11月山形市香澄町吹張に分家、菓子種「おこし」の製造販売で独立した[4]。1944年(昭和19年)吉田飛行機KKを設立、日本飛行機KKの協力工場となった。

1950年(昭和25年)に本業の菓子製造を再建し、1953年に「鈴木製菓株式会社」として法人化。同1956年(昭和31年)「でん六豆」の製造を開始し、山形県内で豆のトップメーカーとなった。

政治家としては、1947年(昭和22年)に山形市議会議員に当選。1951年(昭和26年)4月30日の山形県議会議員選挙に当選、同年5月18日に総務副委員長、1953年(昭和28年)7月3日文教副委員長、1954年(昭和29年)6月30日経済委員長を務めた。

1955年(昭和30年)4月30日の山形県議会議員選挙に再選(2選)。1959年(昭和34年)4月23日改選に再選(3選)。1963年(昭和38年)4月17日改選に当選(4選)し、満期退任した。

公職では、山形商工会議所議員、山形菓子工業協同組合連合会理事、山形県中部菓子工業協同組合専務理事、山形市菓子商組合理事長、全国菓子協同組合連合会理事、山形県中小企業団体中央会理事、山形雇用協議会理事、山形市法人会副会長、山形県ソフトボール協会会長、全国落花生豆菓子協同組合連合会理事、山形市商工会議所常議員、山形県物産協会会長、山形市観光協会常任理事、山形電話協会理事、全国甘納豆組合連合会副会長などを務めた。

1966年(昭和41年)に勲五等双光旭日章を受章。1977年(昭和52年)に勲四等瑞宝章を受章[1]。

1984年(昭和59年)5月28日、慢性腎不全のため死去[1]。享年87歳。

その他

  • 亡くなるまでの約10年、銅像やレリーフなどの造形物を作家に創作してもらい、各地に寄贈することに専念した。寄贈した物として、県体育館に一般的なレリーフ、1972年に山寺へ芭蕉の像、霞城公園に最上義光像、北海道別海町に北方領土返還の叫びの像などがある[5]。

脚注

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