鈴木善照
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千葉県出身[1]。東京帝国大学に学ぶ。在学中は漕艇部に所属して活動[2]。ベルリンオリンピックの漕艇競技のエイト種目では、東京帝大クルーが日本代表に選ばれたため[2]、鈴木もその一員としてオリンピックに出場した(敗者復活戦で敗退)[3][4][注釈 1]。鈴木はクルーのバウ(舳手)を務めた[5]:19。
1936年に東京帝国大学工学部採鉱科を卒業[1]、同年に同和鉱業に入社[1]。1960年11月に取締役に就任し、1963年5月に常務を経て、1971年に副社長に就任し、1973年5月には社長に昇格[1]。1977年6月には会長を経て、1981年6月には相談役に退いた[1]。この間、日本鉱業会(現在の資源・素材学会)会長[6][7]などの公職を務めた。
実業界で活動するとともに漕艇競技にも関わり、第二次世界大戦後には東京大学のボート部の指導にあたった[5]:19[注釈 2]。1950年には日本漕艇協会(現在の日本ローイング協会)から『ローイング』を出版した[3][10]。