鈴木善照

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鈴木 善照(すずき よしてる、1909年 <明治42年> 10月8日 - 1993年 <平成5年> 8月18日)は、日本の経営者工学博士同和鉱業社長を務めた。位階正四位

千葉県出身[1]東京帝国大学に学ぶ。在学中は漕艇部に所属して活動[2]ベルリンオリンピック漕艇競技のエイト種目では、東京帝大クルーが日本代表に選ばれたため[2]、鈴木もその一員としてオリンピックに出場した(敗者復活戦で敗退)[3][4][注釈 1]。鈴木はクルーのバウ(舳手)を務めた[5]:19

1936年に東京帝国大学工学部採鉱科を卒業[1]、同年に同和鉱業に入社[1]1960年11月に取締役に就任し、1963年5月に常務を経て、1971年に副社長に就任し、1973年5月には社長に昇格[1]1977年6月には会長を経て、1981年6月には相談役に退いた[1]。この間、日本鉱業会(現在の資源・素材学会)会長[6][7]などの公職を務めた。

実業界で活動するとともに漕艇競技にも関わり、第二次世界大戦後には東京大学のボート部の指導にあたった[5]:19[注釈 2]。1950年には日本漕艇協会(現在の日本ローイング協会)から『ローイング』を出版した[3][10]

1993年8月18日肝不全腎不全のために死去[11]83歳没。死没日付をもって正四位に叙された[12]

栄典

1969年藍綬褒章を受章し、1975年6月にフランス・オルドレ・ナショナル・ドゥメリット勲章を受章し、1982年4月に勲二等旭日重光章を受章[1]

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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