鈴木喬 (歴史研究家)
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鈴木喬は、父・鈴木登(1888年 - 1954年、京都帝国大学文学部史学科出身)が京都市視学[1]であったので、京都大学医学部附属病院で生まれた。満2歳で父が第五高等学校教授に招請されて、熊本で育つ。碩台幼稚園、白川小学校時代を通じて本を読むのが好きであった。熊本中学校(現県立熊本高等学校)時代は3年にわたって結核を患う。日本大学文学部史学科卒業。1945年の東京大空襲は辛うじて逃れたが、熊本大空襲で自宅が被爆、父親の多くの史料が焼失した。
戦後は新制中学で教職につき、熊本市立白川中学校、熊本市立出水中学校などに勤務する。1966年、乞われて熊本市教育委員会に勤務する。以後15年、退職するまで熊本の文化財の調査、保存に精魂を込めた。文化係から初代文化課長となる。
評価を高めたものに、大学教授から高校の考古学クラブなども参加させ、熊本市を6つに分け、1年を調査、次年を報告書作りしたことで、12年がかりの大仕事であった。その後、熊本大学教養部非常勤講師(9年)、熊本市文化財保護委員、熊本城顕彰会理事、小泉八雲熊本旧居保存会会長などを委嘱される[2]。その他、熊本地名研究会を主催した。
共著
編著
- 『熊本の城』
- 『熊本の社寺』
- 『熊本市史年表』
- 光野光哉『新・熊本市史』(1996年 - )
監修
- 『学習まんが熊本の歴史』(熊日出版文化賞)
- 『角川地名大辞典 43 熊本県』
- 『目で見る熊本史の100年』(2000年 郷土出版社)