鈴木正勝
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戦時中に父が仕事で中国・北京に派遣されていたため北京で生まれ4歳まで過ごし、戦後父の故郷の愛知県豊橋市に引き揚げる[1]。
中央大学法学部法律学科卒業。1964年、関西テレビにアナウンサーとして入社。フジテレビやTBSも受けたが落ちたという[1]。
『シャボン玉アワー』などの歌番組・寄席番組を担当し、1984年から夕方のニュース番組『アタック600』の初代メインキャスターを担当。48歳頃から咳き込むようになり、また老眼でプロンプターが読めなくなったことからキャスターを辞めている[1]。
報道管理部長を1年務めた後、1993年に報道部長に就任。在任中の1995年に阪神・淡路大震災が発生した。
広報部長、関西テレビ関連会社オクトの社長、レモンスタジオ社長などを務め、2006年に関西テレビを退任。
2007年から大阪府立東住吉高等学校芸能文化科で特別非常勤講師を務め、アナウンスの実習を担当している[2]。追手門学院大学講師も3年務めた。