鈴木清 (医学者)
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1898年04月17日、兵庫県津名郡洲本町常盤町425番地(兵庫県淡路島津名郡洲本町(現洲本市)で生まれた。1923年3月、大阪医科大学(現 大阪大学医学部)を卒業。
大学卒業後は、新潟医科大学助手に就任。1926年07月19日より、京城帝国大学医学部助教授・医学部勤務となった。1926年09月13日、朝鮮総督府医学専門学校講師に就任し、解剖学第二講座を分担する。 1933年11月08日、解剖学研究のために1年6ケ月間、ドイツ、フランス、イギリス、アメリカへ留学派遣される。この期間に、カイザー・ヴィルヘルム学術振興協会(ベルリン)のゴールド・シュミット教授に師事し、染色体研究を行った[1]。1945年01月21日、大邱医学専門学校講師に就任。
しかし敗戦を迎えると、医師であった鈴木は1945年09月20日に韓国残留日本人のための救療団々長を依嘱される。また1946年2月3日に在外同胞援護会参事を依嘱される。自身は1946年4月23日に、福岡に引き上げ帰国する。その後も韓国と日本を往復して、残留日本人の帰国に尽力した[2]。
1948年7月28日、大阪市立医科大学医学部教授に就任。 1950年07月07日には、第55回日本解剖学会会頭を務める。1952年05月、鈴木鍍銀法を学術誌・脳神経領域で発表。1955年04月01日、大阪市立大学医学部教授に就任(1964年3月31日まで在職勤務)。1958年より大阪市立大学大学院医学研究科主任、1959年7月より大阪市立大学医学部長。また、大阪市立大学医学部教授と兼任する形で、1956年3月31日より大阪大学医学部講師、1959年07月01日 より奈良県立医科大学非常勤講師、1962年10月1日より大阪府立大学農学部講師(非常勤)も務めた。
1961年3月31日、大阪市立医科大学名誉教授の称号を授与される。1964年04月14日、大阪市立大学名誉教授称号を授与される。1965年12月25日、大阪女子大学学長に就任。