鈴木草牛

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生誕 1905年(明治38年)7月15日
茨城県稲敷郡牛久村(現在の牛久市
死没 1988年(昭和63年)1月8日
茨城県取手市
出身校 東京美術学校日本画科
すずき そうぎゅう
鈴木 草牛
生誕 1905年(明治38年)7月15日
茨城県稲敷郡牛久村(現在の牛久市
死没 1988年(昭和63年)1月8日
茨城県取手市
出身校 東京美術学校日本画科
職業 日本画家
著名な実績 1968年新興美術院理事
受賞 第4回茨城美術展で初入選
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鈴木 草牛(すずき そうぎゅう、1905年明治38年〉7月15日 - 1988年昭和63年〉1月8日)は、20世紀に活動した日本画家[1]。1948年から20年間は教師としても活動。

茨城県稲敷郡牛久村(現在の牛久市)に生まれる。1926年、東京美術学校(現在の東京芸術大学美術学部日本画科に入学した。1929年、第4回茨城美術展で初入選を果たす。みやこ新聞社茨城新聞社記者として働く。1948年から母校である茨城県立龍ヶ崎中学校(現在の竜ヶ崎第一高等学校)に美術教師として20年間奉職した[2][3]。1962年、65年は茨城県美術展運営委員を務める。1968年には新興美術院理事を務める。1972年から数度に渡り外遊した。1988年、茨城県取手市で死去した[4]

人物

独自の線で郷土の四季や各地の風景・人々を描いた[5]

年表

  • 1905年7月15日 - 茨城県稲敷郡牛久村(現在の牛久市)に生まれる
  • 1923年 - 茨城県立龍ヶ崎中学校(現在の竜ヶ崎第一高等学校)卒業
  • 1926年 - 東京美術学校(現在の東京芸術大学美術学部)日本画科入学
  • 1929年 - 第4回茨城美術展で初入選
  • 1931年
    • 東京美術学校日本画科卒業
    • みやこ新聞社に漫画記者として入社
  • 1937年 - 茨城新聞社の従軍記者として中国に渡る
  • 1948年 - 母校の龍ヶ崎中学校に美術担当教師として奉職
  • 1962年 - 茨城県美術展運営委員になる
  • 1965年 - 茨城県美術展運営委員になる
  • 1968年 - 新興美術院理事に就任
  • 1969年 - 九月会創立
  • 1978年 - 「鈴木草牛水郷素画集」を出版
  • 1988年1月8日 - 茨城県取手市で死去

[6]

主な作品

  • 筑波山と農村 (1936年)牛久市所蔵
  • 龍ケ崎並木 (1946年)龍ケ崎市歴史民俗資料館所蔵
  • 田植え龍ケ崎 (1947年)龍ケ崎市歴史民俗資料館所蔵
  • 牛久沼 (1960年)龍ケ崎市歴史民俗資料館所蔵
  • 杜 (1962年)茨城県近代美術館所蔵
  • 阿蘇 (1973年)茨城県近代美術館所蔵
  • トウモロコシの神とインディオ (1978年) 取手図書館所蔵
  • 大利根べり (1979年) 取手市所蔵

画集等

  • 鈴木草牛水郷素画集(1978年)
  • 竜ヶ崎むかしばなし 牛になった小坊主 (1980年)
  • 水墨画芸術の半世紀集 (1982年)

交流関係

脚注

参考文献

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