1955年に横浜国立大学経済学部を卒業後、日本経済新聞社に入社した[要出典]。
証券部時代の1965年(昭和40年)に山一証券の経営危機をつかみ、日銀特融に至る経過を報じた。1972年に証券部長となる。1981年から1983年まで日経産業新聞の編集長を務める。1983年にデータバンク局長に就任し、経済情報をオンラインでパソコンに送り込む「日経テレコン」をはじめ、日本経済新聞社の総合情報産業化に貢献する。その後大阪本社代表を経て、1990年に日本経済新聞社を退社した。[要出典]
その後、日経BP社副社長、[要出典]社長を歴任した[1]。
1998年に格付投資情報センター社長に就任した[要出典]。2000年に退任[2][3]。
2019年3月29日、誤嚥性肺炎のため死去、87歳没[4]。