遺著『心学奥の桟』(1816年稿、1822年刊)に「一種の草木変じて千草万木となり一種の禽獣虫魚変じて千万種の禽獣虫魚となるの説」が植物、動物の単一起源説を述べている。さらに人間についてもはじめは禽獣であったものが「展転変化」して人になったに違いないと明言している。これはダーウィンの『種の起源』(1859年)よりも早く出版されたと評価される[1]。ただし、実証的考察の乏しさから、柳泓がダーウィンより早く進化論を構想したとは言えない[1]。
柳泓はマツなどの樹木の種が土地によって少しずつ違いのあることや、当時流行したアサガオが品種改良されて、多くの品種が作られたことや、外国産の犬と和犬の交雑によって新しい品種が生まれたことからこの説に至ったとされる[3]。