鎌田柳泓

From Wikipedia, the free encyclopedia

鎌田 柳泓(かまた りゅうおう、宝暦4年1月1日1754年1月23日) - 文政4年3月11日1821年4月13日))は医師、石門心学の心学者である。諱は鵬、字は図南、通称は玄珠。柳泓は号であり、別号に曲肱庵がある[1]。ヨーロッパでの進化論とは独立して、進化論を著書に残したとして紹介されることが多い。著書に『理学秘訣』(1816年)などがある。

1754年(宝暦4年)正月、紀伊国湯浅(現在の和歌山県有田郡湯浅町)の久保又右衛門の三男として誕生した[1]。10歳で、母方の伯父である鎌田一窓の養子となり、京都に移り住んだ[1]。一窓は医師であり、石田梅岩の直弟子の斎藤全門から教えを受けた心学者でもあった[1]。柳泓は幼年時から一窓や梅岩の高弟であった富岡以直から心学を学び[1][2]、江村北海から詩文を教授されるなど、充実した教育環境下で育った[1]。還暦間近の1813年(文化10年)に『心学五則』を刊行した[1]

柳泓の進化論

脚注

関連書

Related Articles

Wikiwand AI