鏑木雲潭 From Wikipedia, the free encyclopedia 鏑木 雲潭(かぶらぎ うんたん、天明2年(1782年) - 嘉永5年11月27日[1][2](1853年1月6日))は、江戸時代後期の南画家。名は祥胤、字は三吉。雲潭・實齋・當左生(尚左生とも)と号した。通称は祥蔵。 市河寛斎の次男として生まれる[3]。市河米庵は実兄。江戸の生まれ。 画を谷文晁に学び、大村藩御用絵師・鏑木梅渓の養嗣子となり自身も絵師として大村藩に仕える。文化年間には藩主大村純昌の命を受けて大村城下に赴任している[4]。山水画・花鳥画を得意[5]とした。子の梅亭(1804年 - 1830年)・雲洞(1815年- 1892年)も画家。子の渓庵(1819年 - 1870年)は明清楽の演奏家となっている。門弟に佐久間雲窓がいる。 芝三田長運寺(港区三田4-1-9)に墓所がある。 作品 「菊図」文化12年(1815年) 脚註 ↑ 結城素明『東京美術家墓所考』 ↑ 漆山又三郎『近世人名辞典』では卒年を明治3年(1870年)としている。 ↑ 『寛斎先生余稿・梅渓画譜』1815年 ↑ 森鷗外『伊沢蘭軒』 ↑ 白井華陽『画乗要略』1815年 参考文献 図録「夭折の南画家」佐野美術館 1991年 典拠管理データベース 全般 ISNI VIAF WorldCat 国立図書館 アメリカ 日本 Related Articles