長利
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| 長利 | |
|---|---|
| 大字 | |
北緯34度40分29.71秒 東経134度0分0.82秒 / 北緯34.6749194度 東経134.0002278度座標: 北緯34度40分29.71秒 東経134度0分0.82秒 / 北緯34.6749194度 東経134.0002278度 | |
| 座標位置:財田23号橋 | |
| 都道府県 |
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| 市町村 | 岡山市 |
| 行政区 | 中区 (岡山市) |
| 人口情報(令和4年5月) | |
| 人口 | 361 人 |
| 世帯数 | 169 世帯 |
| 郵便番号 | 703-8223 |
| 市外局番 | 086 |
| ナンバープレート | 岡山 |
河川
歴史
江戸時代、百間川が造られるとその影響で庄内川(祇園用水)上流域の宍甘、宿、南方、藤井、鉄、北方では排水が悪くなり、豪雨の際には洪水に悩まされることは明らかであった[3]。しかし城下を守るためには庄内川上流域で多少冠水の被害があったとしても仕方がないとして百間川が造られた[3]。岡山藩はその対策として川の掘り替えや洪水の際の年貢減免を考慮したものの、解決には至らなかった[3]。その一方で下流域の長利、中川、益野の3村では用水の末端となったことで水不足に悩まされることとなる[3]。上流の村では悪水を流すべく叶田、流田樋という悪水路を作っていたが、下流の3村は水不足の際はその水路から水を供給するよう要求した[3]。文政6年(1823年)の水不足の際に下流3村はこの樋を開けるべく7月25日に鳶口や半棒を手に交渉を行った[3]。最終的に妥協案として川の水が上流域の村々を一巡した後にはその水路を用いて給水を行う取り決めがなされることとなった[3]。この取り決めでは大雨が降った際、ある程度悪水が引くまでは排水をよくするために下流3村が取水を行わないということになった[3]。上流の村は大雨の際に下流の村の者が規定を無視して悪水路から水を引き込み、村が冠水することを防ぐために水番をやっていた[3]。天保7年(1836年)6月、規定を無視して水を引き込んだ長利村の者を水番に出ていた南方村の藤四郎が問い詰めた[3]。しかし反対に藤四郎は川に投げ込まれてしまい、上流域と下流域の諍いは更に大きなものとなった[3]。
明治に入り、1889年(明治22年)6月に長利村は四御神、神下、下、長岡、土田、乙多見、米田の7村と合併し、上道郡財田村となる[4][5][6]。
1911年(明治44年)には西大寺鉄道の延伸に伴い当地に駅が設けられたが、1962年(昭和37年)、同線の廃止に伴い廃駅となっている[4]。
年表
世帯数と人口
2022年(令和4年)5月時点の世帯数と人口は以下の通りである[8]。
| 世帯数 | 人口 | |
|---|---|---|
| 長利 | 169世帯 | 361人 |
