熊本工業高校から社会人野球の新日本製鐵名古屋に進み、都市対抗野球には補強選手で複数回選出されて登板もしている。1972年のドラフト会議で広島東洋カープから4位指名を受け入団。オーバースローからのスライダー、小さなカーブとシュートで左右を丁寧についたピッチングが持味。
1年目の1973年にはオープン戦で活躍し、中継ぎとして一軍に上がる。7月8日に大洋ホエールズを相手に初先発を果たすが、2回に打ち込まれ降板。その後は登板機会に恵まれず、僅か2年で引退。
引退後は、打撃投手に転じ、1987年からスコアラーになった。