埼玉県北埼玉郡志多見村(現・加須市)出身。16歳の時に姉の養女となり、天理教に入信。25歳で結婚後、夫の身持ちの悪さから11年後に離婚。その後、41歳で再婚[1]。夏は氷屋、冬は焼き芋屋の「埼玉屋」という店のおかみさんをしていた。40代後半、心臓弁膜症、喘息、胃下垂、子宮内膜炎が悪化し、寝込むことが多くなった。これを聞いた庭野日敬は、霊友会に入ることを勧め、これに納得し、入会した。
1938年、霊友会会長小谷喜美との対立から霊友会を脱会し、同年3月5日に庭野や村山日襄らと大日本立正交成会(後の立正佼成会)を設立。1943年に副会長に就任[2]。
1957年1月22日、甲府方面へ布教中に病に倒れ、同年9月10日「一切のことはお願いします」の言葉を残し脳血栓にて逝去。享年69歳。