鳥取県鳥取市出身[2][5]。呉服太物商・長田幾蔵の長男[6]。1915年、神戸高等商業学校を卒業[2]。三菱合資に入社、三菱重工業に配属され長崎支店をふり出しに、本店営業第五部長、機械部長、三原車輛製作所長等を歴任して1946年12月に取締役に選任される[3]。
1950年中日本重工業の取締役に転じて活躍中、偶々三菱化工機が潰れかかったので同社の再建に起用され、1952年1月同社に顧問で入り、翌2月社長に就任する[3]。
1961年1月10日、突然脳出血を起こして東京都世田谷区上馬1丁目の自宅で逝去する[3]。1月12日、葬儀は小石川音羽の護国寺で三菱化工機の社葬として営まれる[3]。