大坂の人で本名は長谷川庄蔵。柳翠軒、後に松翠軒と号す。西川祐信の画風だが、祐信の門人だったかどうかは定かではない。主に版本の挿絵を描いており、享保6年(1721年)刊行の『花王伊勢物語』に「摂陽大和画師長谷川光信」としてその名が見えるのが、現在確認できる作として最も古い。享保年間に柳翠軒と号して版本の挿絵を手がけたが、その後十二年のあいだ画業が途絶え、延享5年(1748年)以降に松翠軒と号し絵師としての活動を再開している。作画期は宝暦11年(1761年)刊行の『絵本初代草』までが確認されている。ほかに墨摺絵や肉筆美人画の作も残す。