長谷川寛
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1782年に江戸に生まれ、少年時代は麻布で鍛冶屋を営んでいた。関流(関孝和の流派)の数学者であった日下誠の弟子になり、数学を学んだ。
貧しい生活を送っていたが、後に寛が受け持つ塾に算学道場と名付けた。数学道場は弟子の数も多く、寛の指導も優れていて有名な和算家が輩出した。山口和や小野友五郎が有名だ。長谷川弘は元の名前を佐藤秋三郎と言い山形の農民の次男だった。諸国を旅し算学を教え歩いた山口和が山形で見出した天才だった。長谷川寛は、数多くの教科書を著して、和算の発展に尽くした。当時では盛んであった[4]。
寛は当初、関流だったが晩年には関流ではなくなり、破門されたという伝説がある[4]が、定かではない。日下誠もすぐれた和算家であったが、寛と運営上の問題で衝突したのかも知れない。どちらもすぐれた人なので衝突はマイナスでしかない。
寛は変形術と極形術(扱いづらい数や図形を扱いやすい形に置き換えて、問題を解きやすくするという術)の創始者とされ、1820年に『算法変形指南』を著した後に弟子の福田廷臣に編纂される。