長谷川正治
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北海道出身。小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)卒[1][2]。卒業後は室蘭の栗林商会に入る[3]。その後、日鉄港運に転職する[1]。
戦後は貿易会社や水産加工会社を創立し、社長に就任する。室蘭水産加工協同組合組合長、北海道水産加工協同組合監事などを務める[1]。 1971年の市長選挙に革新系無所属で立候補し[2]、現職の高薄豊次郎を90票差で破った[4]。市長に当選後は市民との対話集会の開催や、室蘭市が基幹産業の造船不況に陥った中、小中学校の校舎の不燃化や、白鳥大橋の調査着手などを始めた。
1975年に再選[1]。市長を1979年まで2期務め、室蘭市土地開発公社理事[1]、全国革新懇話会世話人も務めた[2]。
また「長谷川遅牛」名義で書家としても活動、市長在任中に右手が動かなくなった事に因み左手で書に取り組み「左手庵」の号を用い[5]、社会派をテーマにした作品を書き続けた。北海道書道展審査会員、創玄書道会名誉会員[2]。1993年死去。死没日付をもって正六位に叙された[6]。