長谷川陽子
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1970年(昭和45年)1月23日に東京都で生誕[1][4][注釈 1]。9歳から桐朋学園大学音楽学部附属子供のための音楽教室で井上頼豊に師事し、1985年(昭和60年)には15歳で第54回・日本音楽コンクールのチェロ部門で第2位に入賞[5][6]。1986年(昭和61年)、NHK-FMのラジオ番組「ミュージックライフ」の新人演奏家が活躍するコーナー「フレッシュコンサート」、NHK特集3月21日放送回のドラマ『東京オン・ザ・シティ』に出演。
1987年(昭和62年)、音楽之友社主催「フレッシュ・アーティスト・シリーズ」にて高校3年でリサイタルのデビューを果たし、1988年(昭和63年)1月には小林研一郎が指揮する日本フィルハーモニー交響楽団のニューイヤー・コンサートにおいて協奏曲デビューを飾り、同年8月にも同交響楽団と再協演[5][7][8]。
桐朋女子高等学校音楽科を卒業後桐朋学園大学に進学し、大学1年生の1989年(平成元年)1月21日にビクター音楽産業よりリリースしたデビュー・アルバム『珠玉のチェロ名曲集』が同年5月、邦人女流チェリストとして初めてクラシック・ヒット・チャート第1位にランク入りし、ジュゼッペ・シノーポリのソリスト・オーディションに最年少で合格[1][5][9]。同年6月、日本テレビ『読響オーケストラハウス』に読売日本交響楽団と出演。同年、札幌交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団とも協演。ジュゼッペ・シノーポリのソリスト・オーディションに同じく合格したピアニストの伊藤京子、ヴァイオリニストの渡辺玲子と共に同年9月、JTクラシックコンサート「花開く3人の女流ソリスト」に出演。
同年10月より文化庁派遣在外研修員として1年間、フィンランドのシベリウス音楽院に留学してアルト・ノラスに師事[9]。1990年(平成2年)5月、ロンドンにてクリストファー・シーマンが指揮するフィルハーモニア管弦楽団とドヴォルザークのチェロ協奏曲などを録音。同年12月には、日本大学カザルスホールにて「パブロ・カザルスに捧げるチェロ連続リサイタル1990」に出演。
1991年(平成3年)1月、NHK交響楽団「若い芽のコンサート」に出演。同年1月から2月には、マレク・ヤノフスキが指揮するフランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団のソリストとして協演。
1992年(平成4年)2月、東京交響楽団定期演奏会に、同年4月にマンチェスターで行われる「チェロ国際フェスティヴァル」に師であるアルト・ノラスと出演。同年5月にシベリウス音楽院を首席で卒業して帰国。
日本の主要オーケストラと共演した他、ハンガリー放送交響楽団、ウィーン・コンツェルト・フェライン室内管弦楽団、モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団など内外のオーケストラにソリストとして迎えられている。2006年(平成18年)NHK朝の連続テレビ小説『純情きらり』のテーマ曲や、2011年(平成23年)のNHK大河ドラマ『平清盛』のエンディング・テーマ曲の演奏などを担当[9]。
CDはビクターエンタテインメントより20枚以上発表している。第5弾のCD『コダーイ:無伴奏チェロ・ソナタ』は「文化庁芸術作品賞」「日本プロ音楽録音賞」などを受賞。『バッハ無伴奏チェロ組曲』(1999年)、チェロとアコーディオン版の『展覧会の絵』(2001年)が『レコード芸術』特選盤に選ばれた。
2005年(平成17年)5月22日、神戸ワールド記念ホールで開催された、第3回1000人のチェロ・コンサートにマエストロの1人として参加。
2015年(平成27年)より、桐朋学園大学音楽学部准教授。2025年(令和7年)4月より桐朋学園大学および同大学大学院教授[7]。
エピソード
両親ともアマチュアとしてヴァイオリンを教えていたが、あまり上手ではなく「ヴァイオリンっていうのは変な音がするから絶対嫌だ」と思っていたという[10]。父親は音楽評論家の長谷川武久[11][注釈 3]。父親はレコーディング関連の仕事もしており、家ではクラシックに限らず色々な音楽が流れていた。その中でチェロの音色を聴いて「これだったらいい音がする」と思い、チェロをやりたいと言い出したのがチェロを始めるきっかけであった[10]。2歳年上の姉はヴィオラ奏者の長谷川弥生[13]。
中学時代はチェッカーズの藤井フミヤの大ファンであった[10]。
クラシック演奏家としては珍しいファンクラブがある[14]。初期の頃はチェロ好き広場ひまわりというファンクラブがあり、会長を『がんが消えたーある自然治癒の記録』の著者でもある寺山心一翁が務めていた。
大の愛猫家。自身の出産・子育てと演奏活動の両立に悩んだ経験を活かし「0歳児とおでかけ応援プロジェクト」コンサートに企画段階から参加した。