天保13年(1842年)、加賀藩年寄長連弘の子として生まれる。弘化4年(1847年)、長家与力の河野久太郎が製作した西洋大砲の試射を見物する。安政4年(1858年)父、連弘の死去により家督と3万3000石の知行を相続する。
万延元年(1860年)12月、従五位下大隅守に叙任する。元治元年(1864年)7月、藩主前田斉泰に代わり藩兵を率い上京し、仙洞御所の警護を行う。同年11月、長州征討のため藩兵を率いて安芸広島に出陣する。同年12月、長州藩の降伏により撤兵して帰国する。慶応3年(1867年)、再び藩兵を率い上京し御所を警護する。
慶応4年(1868年)4月9日没。享年27。家督は異母弟の成連が相続した。