長野城 (伊勢国) From Wikipedia, the free encyclopedia 城郭構造 山城築城主 長野工藤氏築城年 文永11年(1274年)主な城主 長野工藤氏logo長野城(三重県) 長野城跡に建つ石碑城郭構造 山城築城主 長野工藤氏築城年 文永11年(1274年)主な城主 長野工藤氏廃城年 元亀元年(1570年)遺構 堀切、土塁指定文化財 国の史跡 北緯34度44分31秒 東経136度21分57秒 / 北緯34.741895度 東経136.365695度 / 34.741895; 136.365695座標: 北緯34度44分31秒 東経136度21分57秒 / 北緯34.741895度 東経136.365695度 / 34.741895; 136.365695テンプレートを表示 長野城(ながのじょう)は、三重県津市美里町桂畑にあった中世の日本の城(山城)。 標高520mの山頂に位置し、付近の標高230mの丘陵尾根には東の城・中の城・西の城が築かれていた。伊賀道に面した交通の要衝にあり、堀切と土塁に囲まれた郭が点在する。主郭の台状地の三方には土塁を巡らし、さらに周囲には階段状の腰曲輪があった。 歴史 工藤祐藤によって文永11年(1274年)に築城され、長野工藤氏の拠点とされた。貞和2年(1346年)に北畠氏に攻められて落城したが、文和元年(1352年)に再び工藤氏が入っている。延文5年(1360年)には室町幕府に反乱した仁木義長が逃げこみ、追討軍に対して2年以上籠城を続けた。 永禄12年(1569年)に織田信長が侵攻すると、弟の織田信包を工藤氏の養子として和睦した。信包は元亀元年(1570年)に上野城を居城とし、長野城を廃している。1982年1月16日、付近にある「東の城」「中の城」「西の城」の跡とともに「長野氏城跡」として国の史跡に指定された。 参考文献 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典(24.三重県)』、角川書店、1983年 関連項目 日本の城一覧 外部リンク 津市による長野城の解説 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 Related Articles