癸未年に開中費直穢人と今州利(いますり、こんすり、こんつり)の2人で銅鏡をつくったとする読み方や、開中費直(かわちのあたい)と穢人今州利(あやひといますり(こんすり、こんつり))、すなわち、開中費直と穢人今州利の2人で銅鏡をつくったと解する読み方など諸説ある[3]。
西田長男、三品彰英、名児耶明などは、「開中」は「かわち」と読み「河内」、「費直」は「あたい」で姓(カバネ)、「穢人」は「あやひと」と読み「漢人」、「今州利」は「こんすり(こんすり、こんつり)」で名とし、「遣開中費直穢人今州利二人等」を「河内のあたい」と「あやひとこんすり(こんすり、こんつり)」の「ふたり等を遣わし」と解している。すなわち、「開中費直穢人今州利」=「河内直とその配下の漢人今州利」と読んでいる[4][5]。
一方、「開中 - 費直を河内 - 直と解し、穢人を『あやひと』ともよむが、確証はない」という意見もある[1]。