間部詮徴
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| 時代 | 江戸時代後期 |
|---|---|
| 生誕 | 不明 |
| 死没 | 安政5年(1858年)8月 |
| 別名 | 文三郎、金三郎、図書(助) |
| 主君 | 徳川家慶→家定 |
| 氏族 | 間部氏 |
| 父母 |
父:間部詮芳、母:間部詮茂の娘 養父:間部詮寛、 |
| 兄弟 | 詮寛、俊章、女子、女子、詮徴 |
| 妻 | 不詳(貞鏡院) |
| 子 | 詮義 |
間部 詮徴(まなべ あきよし)は、江戸時代後期の旗本。間部詮芳の子。兄・詮寛の養子に入り、赤坂間部家の家督を継ぐ。
天保11年(1840年)、間部詮寛の養嗣子になり赤坂間部家の家督と遺領を相続した。嘉永7年(1854年)、知行所に対し3年の間、賄金(御用金)を上納するよう命じている[1]。安政2年(1855年)の時点で小普請だった。安政3年(1856年)、隠居して家督を実子の詮義に譲った[2]。安政5年(1858年)、死去。