土佐国長岡郡大篠村大そね関部落に生まれる。(現・南国市大そね)1867年(慶応3年)1月17日に、関田為三郎と登良の長男として生まれる。初名は駒太郎。明治27年2月15日英穂に改名願。幼少のころは、琴平神社宮地氏のもとで漢籍を学んだ。性格は温厚篤実であり、郷党信望していた。
明治38年、大篠村助役になった後、続けて大篠村村長に推薦されて4期にわたり村長を勤めた[2]。歴代村長には、溝淵静閑や岡上忠兵衛、島崎清美や関田為平などがいる[3]。日露戦争の後は、地方自治による勲功があったとして、勲八等瑞宝章を賜わった。その後は山田堰水利組合、組合病院、組合製糸、大篠農協等各役職を歴任して、郷党の信に応えた。また、地方自治制が発布されて50周年にあたり、その功顕著なる者として表彰を受けた。
一人娘に茂樹がおり、関田為平に嫁いだ。1943年(昭和19年)10月27日没後、孫の関田健二が家督を相続している。家紋は丸に剣片喰である。