閻巨源

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閻 巨源(えん きょげん、生年不詳 - 815年)は、唐代軍人

貞元19年(803年)、勝州刺史として振武軍行軍司馬を摂行した。范希朝が入朝すると、巨源は代わって振武軍節度使となった。武勇により昇進し、知的な才能はなかった。はじめ書を知らなかったが、文章を好んだ。かれの言には誤りが多かったが、当時の人はかれの談論を冗談として受け取って、その寛大温厚さで将兵になつかれるようになった[1]。のちに巨源は右羽林軍統軍となった。元和4年(809年)、邠州刺史・邠寧節度使となった[2]。のちに検校尚書右僕射を加えられた。元和9年12月辛亥(815年1月22日)、死去した[3]

脚注

伝記資料

参考文献

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