阪口忠昭
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直方学園高校では捕手であったが、2年生の秋に強肩を買われ投手に転向した。1969年秋季九州大会県予選北部準決勝に進むが、楠城徹のいた小倉高に7回コールド負け。翌1969年夏の甲子園福岡県予選では直方学園として初の決勝に進むが、川村博昭のいた飯塚商に0-3で敗退。打撃も良く五番打者をつとめた。
1969年ドラフト会議で西鉄ライオンズから3位指名を受け入団[1]。右の本格派として期待され、1971年に一軍初登板、7月には初先発を果たす。同年は主に中継ぎとして28試合に登板した。翌1972年も28試合に登板、8月からは先発ローテーションの一角として起用される。8月23日には近鉄の神部年男と投げ合い初完封初勝利を記録する。しかし1973年以降は登板機会に恵まれず、1975年限りで引退した[1]。
オーバースローからのシュート、カーブが武器だが、コントロールに難があった。
詳細情報
年度別投手成績
| 年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1971 | 西鉄 太平洋 |
28 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | -- | -- | .000 | 211 | 50.1 | 44 | 6 | 20 | 1 | 4 | 19 | 5 | 0 | 25 | 17 | 3.06 | 1.27 |
| 1972 | 28 | 13 | 1 | 1 | 0 | 1 | 4 | -- | -- | .200 | 313 | 70.0 | 80 | 10 | 36 | 1 | 0 | 29 | 1 | 0 | 41 | 36 | 4.63 | 1.66 | |
| 1975 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 25 | 4.0 | 12 | 2 | 1 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | 9 | 8 | 18.00 | 3.25 | |
| 通算:3年 | 57 | 15 | 1 | 1 | 0 | 1 | 5 | 0 | -- | .167 | 549 | 124.1 | 136 | 18 | 57 | 2 | 5 | 51 | 6 | 0 | 75 | 61 | 4.43 | 1.55 | |
- 西鉄(西鉄ライオンズ)は、1973年に太平洋(太平洋クラブライオンズ)に球団名を変更
背番号
- 56 (1970年 - 1972年)
- 19 (1973年)
- 52 (1974年 - 1975年)