阮堂歳寒図 From Wikipedia, the free encyclopedia 歳寒図(さいかんず、セハンド、朝鮮語: 세한도)は、朝鮮時代後期の文人・書道家である金正喜(号:秋史、1786年 - 1856年)が、1844年に制作した水墨画。 文人画の傑作として知られ、大韓民国の大韓民国指定国宝第180号に指定されている[1]。 本作は、金正喜が済州島での流刑生活中に、弟子の李尚迪(イ・サンジョク、1804年 - 1865年)に贈ったものである。李尚迪は、師が権力を失い辺境に流された身でありながら、清の燕京(北京)から貴重な書籍を調達して送り届けるなど、忠義を尽くしたとされる[2]。 画題の「歳寒」は、『論語』子罕編の「歳寒くして然る後に松柏の彫(しぼ)むに後(おく)るるを知るなり(冬の厳しい寒さになって初めて、松や柏が枯れずに残ることがわかる)」という一節に由来する[3]。 特徴 紙本墨画で、サイズは縦23.7センチメートル、横69.2センチメートル(全体では約14メートルに及ぶ巻物形式)。 画面には、簡素な家が一軒と、その左右に配置された2本の松と2本の柏が描かれている。余白を大胆に活かした構成と、枯淡な筆致(渇筆法)が特徴であり、技巧を排して精神性を重視する文人画の極致と評される[4][5][6]。 作品の流転 近代[いつ?]に入り、本作は京城帝国大学教授であった日本人の清朝文化研究者である藤塚鄰(ふじつか ちかし)の手に渡った[7]。 1944年、書道家の孫在馨(ソン・ジェヒョン)が、戦禍から本作を守るために日本に渡り、東京の藤塚のもとを訪ねて返還を請い願った。藤塚は孫の情熱に打たれ、対価を受け取らずに「これこそがあるべき場所へ戻るのだ」として譲渡を決意。そのわずか3ヶ月後、藤塚の自宅は空襲により全焼しており、本作は奇跡的に焼失を免れた[8][3]。 韓国への返還 2020年には長年個人所蔵していた孫昌根(ソン・チャングン)により韓国国立中央博物館へ寄贈され、2021年には大規模な特別展が開催されるなど、現在も韓国アートを象徴する至宝として親しまれている [9]。 脚注 ↑ “日本人が返した韓国国宝 「歴史的事件」と息子は記した:朝日新聞”. 朝日新聞 (2021年6月7日). 2026年1月6日閲覧。 ↑ “日本人が返した韓国国宝 「歴史的事件」と息子は記した:朝日新聞”. 朝日新聞 (2021年6月7日). 2026年1月6日閲覧。 1 2 “日本に渡った絵画が韓国に戻った背景には国を超えた信頼関係が… 知られざる文化交流史に光:東京新聞デジタル”. 東京新聞デジタル. 2026年1月6日閲覧。 ↑ “「朝鮮の金のスプーン」秋史·金正喜(キム·ジョンヒ、1786~1856)は悲運の末年を送った。 しかし、その時期に誕生した芸術は絶頂の花を咲かせた。 済州の摹瑟浦港付近に流刑されて5年間、自分を訪ねて.. - MK”. 매일경제 (2024年1月12日). 2026年1月6日閲覧。 ↑ “民団新聞”. www.mindan.org. 2026年1月6日閲覧。 ↑ “〈朝鮮民族の美65〉金正喜「歳寒図」”. 朝鮮新報. 2026年1月6日閲覧。 ↑ 「「特集藤塚鄰」学問で日韓の架け橋に」『胆江日日新聞』2026年1月1日。 ↑ “父は歳寒図、息子は研究資料…2代にわたる「秋史寄贈」”. 中央日報 - 韓国の最新ニュースを日本語でサービスします. 2026年1月6日閲覧。 ↑ “国立中央博物館『歳寒図』展”. world.kbs.co.kr. 2026年1月6日閲覧。 出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。 記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2026年1月) 韓国国立中央博物館 - 歳寒図 大韓民国文化財庁 - 国宝 第180号(韓国語) Related Articles