阿倍広人 From Wikipedia, the free encyclopedia 阿倍 広人(あべ の ひろひと、生没年不詳)は、奈良時代の貴族。姓は朝臣。官位は従五位下・越中守。 孝謙朝末の天平宝字2年(758年)従六位下の時に南海道問民苦使に任ぜられた。この人事は、広人が参議・阿倍沙弥麻呂の近親者であったためと推定されている。この頃には右京大進も務めている。 淳仁朝の天平宝字3年(759年)12月には正六位上・越前介の官位にあり、翌天平宝字5年(761年)正月に従五位下に叙爵し、越中守に任官した。また同年の班田の際に、広人が寺田と口分田とを混同して相替えて百姓に給したことが、天平神護3年(767年)の民部省符に記されている[1]。 官歴 注記のないものは『続日本紀』による。 時期不詳:従六位下 天平宝字2年(758年)正月5日:南海道問民苦使。8月:見右京大進[2] 時期不詳:正六位上 天平宝字3年(759年)12月3日:見越前介[3] 天平宝字5年(761年)正月2日:従五位下。正月16日:越中守 脚注 [脚注の使い方] ↑ 天平神護3年2月11日付民部省符『大日本古文書』5巻645頁 ↑ 『大日本古文書』15巻131頁 ↑ 「東大寺開田越前国足羽郡糞置村地図奥書」『大日本古文書』4巻393頁 参考文献 『続日本紀』3 新日本古典文学大系14 岩波書店、1992年 宇治谷孟『続日本紀 (中)』講談社〈講談社学術文庫〉、1992年 Related Articles