弘治元年(1555年)9月頃、反今川勢力である、鱸兵庫助(足助鈴木氏)、岩村衆(遠山氏)および広瀬右衛門大夫(広瀬三宅氏)が、美濃と三河の国境近くの小渡において砦を築いた。それに対して、同年9月8日に、広瀬が帰陣するところを今川方の阿摺衆が襲い一戦を遂げた。さらに、先立つ同年9月7、8日には、明智まで攻め込み、明智城を包囲したうえ敵方「通用」の者を討ち捕らえた。
このような美濃三河国境における国人衆の対立関係は、足助鈴木氏・広瀬三宅氏・岩村遠山氏・明智遠山氏が反今川の立場で連携し、これに対し、今川方である阿摺衆が美濃の明智にまで侵入し、また、三宅氏軍勢を襲撃するという構図である[5]。