阿波山上神社
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| 阿波山上神社 | |
|---|---|
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拝殿 | |
| 所在地 | 茨城県東茨城郡城里町阿波山664-1 |
| 位置 | 北緯36度31分10.2秒 東経140度21分46.1秒 / 北緯36.519500度 東経140.362806度座標: 北緯36度31分10.2秒 東経140度21分46.1秒 / 北緯36.519500度 東経140.362806度 |
| 主祭神 | 少彦名命 |
| 社格等 |
式内社(小) 旧郷社 |
| 創建 | 大宝元年(701年) |
| 別名 | 降木明神 |
| 例祭 | 4月15日 |
| 地図 | |
阿波山上神社(あわやまのうえのじんじゃ[1]、あわやまのえのじんじゃ[2])は、茨城県東茨城郡城里町阿波山にある神社。「降木明神」の別名がある。「延喜式神名帳」の「阿波山上神社」に比定されている。旧社格は郷社[1]。例祭は4月15日[1]。
阿波山上神社は、城里町北部の桂地区にある。境内の西側に沿うように国道123号が通っている。「山上」を冠する社名にもかかわらず、一帯は那珂川と桂川に挟まれた平地である。『神社覈録』に「古老伝言、昔者大山村呼爲上粟山、粟野村呼爲下粟山、祠即在二村之上、故祠有阿波山上之称矣」とあり、粟山の上下二ヶ村のうち、上粟山に鎮座していたことから、阿波山上神社の称が生じたという口碑が記されている。この伝承に基づけば、社名には元々「山上」の意は含まれていない。
「阿波(あわ)」は延喜式神名帳の阿波山上神社のほか、『倭名類聚抄』の那珂郡阿波郷にも見える古い地名である。『常陸国風土記』の那賀郡の条にある「自郡東北挟粟河而置駅家(郡より東北、粟河を挟みて駅家を置けり)」の「粟河」は那珂川の別名であり、これは阿波郷を通ることに因んだものとされている[3]。阿波郷は、現在の「阿波山」と、南隣の「粟(旧粟村)」を合わせた地域と考えられている。『新編常陸国誌』に「是常国に粟を生ぜし処なりと」とあり、常陸国における粟の発祥の地という伝承がある。
『新編常陸国誌』に、従来、この地一帯は粟栽培の好適地であることから「粟」と呼ばれていたが、好字令を受けて「阿波」の二字を借りたという考察がある[4]。中世以降の文献資料には、依然として「粟」の字を含んだ地名(粟郷、上粟、下粟等)が見られる。正平10年(1355年)、佐竹義篤によりこの地に封じられた佐竹義孝は大山氏を名乗り、島状の丘陵にある大山城を居館とした[5]が、「大山」は「粟山」の転訛であるという。また、この地にいた佐竹義盛の弟義有は「粟刑部大輔」を称し、「粟殿」と呼ばれていた。なお、「大山」は江戸時代末期(天保年間)に阿波山村と改称されるまで旧村名となった。

祭神
- 童子姿の神が手に粟穂を持ち、大杉に降臨したという伝承から「降木明神(佐加利子明神[6][4])」の別名がある。『新編常陸国誌』に「本殿の坤方に降木山、降木原などあり」とあり、この伝承に因んだ地名も存在した。
- 神体は童子の姿をした木造立像である。『新編常陸国誌』に「神体は木製の立像にて束帯なり」とあり、『府県郷社明治神社誌料』に「御神体は童形に座ます」とある。
- 少彦名命は、国造りを終えた後、淡島で粟茎(あわがら)に弾かれて常世国に渡ったという、粟に由縁のある神である(『日本書紀』)。
- 神木は杉である。境内の「御神木由来」によれば、かつて二代目にして樹齢千年ともいう巨杉が「大杉様」として崇敬されていたが、昭和47年9月18日の落雷により炎上し、倒木の危険が生じたことから伐採された(昭和48年7月5日神社本庁承認)。「大杉様」の苗から現在の神木が育っている。
境内社
八幡神社(応神天皇)、富士神社(木花開耶姫命)、疱瘡神社(月読命)、天満神社(菅原道真)、天王神社(素盞嗚尊)、伊勢神明社、稲荷神社(倉稲魂命)、東照天満神社の8社がある[7]。伊勢神明社と東照天満神社を記載していない資料もある。
