阿部彦吉
From Wikipedia, the free encyclopedia

阿部 彦吉(あべ ひこきち、元治元年9月2日(1864年10月2日)[1] - 昭和6年(1931年)10月9日[2])は、日本の発明家である。
現在の山形市六日町生まれ。生家は草履表商だったが、類焼で経営が悪化[3]。幼少期に苦労するも、時計に興味を持ち18歳で上京。京橋の小林時計店に勤務し、技術体得の後20歳で帰郷した。山形市七日町に自ら時計店を開業[3]。そのかたわら電気時計の研究発明に志した。まず単独式電気時計から発電機付きの無電池式電気時計に進み、その後、有電池式連絡時計となって完成を見た。特許は内外12件に及ぶ。
1915年に自動発電無電池阿部式親子時計を開発し特許を取得。県庁舎(現・文翔館)新築に際し時計工事を請け負い、1918年、時計塔の大時計を親に、無電池で庁内50余りの子時計を完成した[3]。この時計装置は旧県庁が文翔館に改装された1995年以降、彦吉の子孫にあたる時計職人の手によって保守点検されている[4][5]。