隠し念仏
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隠れ念仏との違い
隠し念仏は、藩からの宗教宗派弾圧のために隠れざるを得なかった薩摩藩や人吉藩の浄土真宗弾圧における隠れ念仏や、日本の江戸期における隠れキリシタンなどとはまったく別である。隠れ念仏の多くは、浄土真宗本願寺教団自体が認可しており、教団に属していたものである。
一方、浄土真宗系の隠し念仏の例を挙げると、浄土真宗本願寺教団そのものから異端視されて邪教とされたため、教団に対しても隠さざるを得なかった宗派内異教である。蓮如(1415年-1499年)が書き記した浄土真宗の『御文章』では、信じれば無間地獄に沈むと警告されている[2]。
隠し念仏は総称であり、地域や流儀(平安時代の真言密教の呪術がそもそもの起源のものも多い)などによって呪術的儀式は異なる。さらに排他的秘密主義のために、その儀式は土俗化しており全貌はいまだに明らかではないが、五木寛之によると、最近では少しずつその秘密儀式の一部などを公開する動きも出ているという。
教義
浄土真宗隠し念仏は、浄土真宗の開祖である親鸞(1173年-1263年)の長男である善鸞(1217年-1286年)が浄土真宗の東国布教に遣わされた際に現地で信じたと言われ、邪教に傾き布教したことを理由として、善鸞は父の親鸞から絶縁・追放されている[3]。
善鸞などの隠し念仏の善知識と呼ばれる指導者は、『御書』をよむことができ、儀式を執り行う。善知識は、死ぬ前に次の善知識を3人以内選び、『御書』を伝える[3]。その教義を形作っている書物には、『法要章』(ほうようしょう)や、秘事を行うものに相伝される『御袖下の御書』がある[4]。いくつかの書物があるが、なかでも『法要章』が隠し念仏の聖典である[5]。
『法要章』は、親鸞から蓮如の流れを継ぐ正統な教えであると説く書物であり、相伝を得た善知識に会い、「タスケタマエ」と一念に頼む儀式を行って、何年何月何日何時に阿弥陀仏に頼んで救われたとわかるような信心決定(しんじんけつじょう)を得ることを目的としている[6]。しかし、この善知識に頼るということは、絶対的救済者である阿弥陀仏ではなく、善知識というこの世の人に頼ることであり、当然ながらすべてを阿弥陀仏にまかせてその力にすがろうという浄土真宗の教えに反する。これこそ、浄土真宗本願寺教団が隠し念仏を異端として激しく排除する理由であり[7]、たとえば蓮如などは、救われるためには善知識に会わなければならないという論説を厳しく否定してきた[8]。
隠し念仏では、本尊は弘法大師(空海)、興教大師(覚鑁)、親鸞とされ、真言密教の影響が見られる。表向きは曹洞宗など他の教団に属しており、葬式などは寺で行うが、その後に信者どうしが集まって内々でその教義の秘密のとむらいを行うという。信者は、既存の寺の教えを表法と呼び、隠し念仏の教えを内法(内信心)と呼んでいる[9]。
潜伏する理由として、金儲けを企む者に知られて教えが退廃することを防ぐためとされる[3]。『法要章』には、隠し念仏ではお金を出さなければという気持ちになるので、お金を持っている人からは信心が得にくいとある[10]。