隣保同盟
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概説
2世紀のギリシアの地理学者パウサニアスは、デルポイの隣保同盟の起源について、デウカリオンの子アンピクテュオンによって創設され、この王の名がアンピクティオニアの語源となったというものと、「隣人」を意味するアンピクティオネス(Ἀμφικτύονες)が語源となったという2つの説を紹介している[3]。
隣保同盟にはヘレネス(ギリシア人)の諸部族が参加した。デルポイの隣保同盟の場合は、まずテルモピュレ近郊のアンテラのデメテル神殿、次いでデルポイのアポロン神殿を管理し、アポロンの聖域で行われたピューティア大祭の開催運営も行なった。
全ギリシア的規模で崇敬を集めた神殿は、その聖域内に奉納による莫大な財産を蓄えていた。そのため、聖域の権益をめぐる争いが、同盟内部において戦争に発展することもあり、それらの戦争は聖戦(神聖戦争[4])と呼ばれた。ピリッポス2世(紀元前382年 - 紀元前336年)はこのような同盟内部の争いに介入することにより、ギリシア本土におけるマケドニアの覇権を確立した。マケドニアは、アンティパトロスが王の代理としてデルポイに赴いた。
古代ギリシアの同盟の類型としては、ペロポネソス同盟(紀元前6世紀末に成立)やデロス同盟(紀元前478年〜477年の冬に成立)といった軍事同盟も知られる[5]。