雄琴神社 (壬生町)
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| 雄琴神社 | |
|---|---|
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銅製鳥居(栃木県指定文化財) | |
| 所在地 | 栃木県下都賀郡壬生町通町18-58 |
| 位置 | 北緯36度25分39.35秒 東経139度48分22.53秒 / 北緯36.4275972度 東経139.8062583度座標: 北緯36度25分39.35秒 東経139度48分22.53秒 / 北緯36.4275972度 東経139.8062583度 |
| 主祭神 |
天照大御神 天武天皇 舎人親王 小槻今雄公 |
| 社格等 | 旧郷社 |
| 創建 | (伝)寛治5年(1091年) |
| 本殿の様式 | 一間社流造 |
| 例祭 | 10月29日 |
| 地図 | |

一の鳥居
歴史
社伝では、寛治5年(1091年)に清原武則子孫の保定が当地に祖先の舎人親王を祀ったのが創建とされる。創建当初は「藤森神社」と称したとする。
寛正3年(1464年)には、下野壬生氏初代の壬生胤業が、雄琴神社(近江国雄琴、現・滋賀県大津市雄琴)から壬生氏遠祖の小槻今雄の神霊を勧請して合祀したという。その際、社殿を建て替えるとともに社号を「雄琴大明神」に改めたとされる。
壬生氏は、天正18年(1590年)の小田原征伐の際に後北条氏に味方して敗北し、さらに小田原開城の直後に当主の壬生義雄が病死したため滅亡した。壬生氏の滅亡以降も、雄琴神社は壬生の総氏神・総鎮守として崇敬を受けた。また、壬生氏の出自とされる壬生家(官務家)は、50年ごとの日光東照宮年忌法要への関東下向の際、雄琴神社に必ず参拝したと伝わる[1]。
慶応3年(1867年)には、神職の黒川豊麿が当地域神職を集めて「利鎌隊」が結成され、戊辰戦争での新政府軍の案内役を務めている[1]。明治維新後、近代社格制度においては郷社に列した。
