雄鎮内
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 雄鎮内 | |
|---|---|
北緯44度11分52.78秒 東経143度8分19.52秒 / 北緯44.1979944度 東経143.1387556度座標: 北緯44度11分52.78秒 東経143度8分19.52秒 / 北緯44.1979944度 東経143.1387556度 | |
| 座標位置:雄鎮内センター付近 | |
| 国 |
|
| 都道府県 |
|
| 郡 | 紋別郡 |
| 市町村 | 滝上町 |
| 人口情報(1937年(昭和12年)3月末) | |
| 人口 | 262 人 |
| 世帯数 | 47 世帯 |
| 郵便番号 | 099-5544 |
| 市外局番 | 0158 |
| ナンバープレート | 北見 |
河川
滝上市街地の東、国道273号沿いに位置する。
歴史
縄文土器や石器、石鍬などが出土しており、古くから定住者が存在した地域である[2][3]。
滝下地区と共に滝上町の開拓のはしりとなった地区である[2]。1908年(明治41年)に滋賀県からの木田弥市、福島県からの栃久保己之助、青森県からの木戸春吉ら入植者が入植したのを皮切りに、翌1909年(明治42年)、1910年(明治43年)にかけて滋賀県、高知県、福島県、宮城県、福井県、山形県から入植者が相次いだ[2]。1910年(明治43年)には上渚滑原野52線から滝上原野3線の間に道路が拓かれたこと、1911年(明治44年)には55線に上渚滑駅逓所と村医診療所が設置されたことで入植者が増え、1915年(大正4年)には既に大半の予定地が農耕地として開拓された[2][4]。なお、駅逓所は1914年(大正3年)に元町に、診療所も同年旭町に移転している[2]。
入植から昭和初期まで畑作を中心とした農業が主産業であったが、1932年(昭和7年)に用水路が完成すると同時に水田が開発された[2]。しかし開発直後から冷害凶作に見舞われたことを機に合理的農業経営の改善に取り組み、町内有数の優良産駒生産地帯としても知られた[2]。昭和初期に造られた用水路が老朽化してきた1952年(昭和27年)、1953年(昭和28年)頃に水田から酪農への転作を図り、乳牛を導入している[2]。
地名の由来
付近の河川名であるパンケオチンナイ、ペンケオチンナイに由来する[2]。古い地図では「チンナイ」としているものもあり、それを採用している永田方正の地名解では「チン」を「草を分けて行く」の意味であるとし、「崖を破りて流る川」と解している[2]。松浦武四郎の地図では「パンケオチンナイ」、「ペンケオチンナイ」とされており、現状雄鎮内という地名が残されていることから「チンナイ」は誤記であるとして『新撰滝上町史』では「川口を左右にかき分ける川(「パンケ」、「ペンケ」はそれぞれ「川下の」、「川上の」の意味)」と解している[2]。
動物の皮を乾かすために型枠に張る川という意味のアイヌ語、「オ・チン・ナイ」に由来するとする説もある[5]。
地名の読みは「オチンナイ」であるが、日本国有鉄道が渚滑線上に設置した雄鎮内仮乗降場の読みは「ユウチンナイ」である[2][6]。地名と乗降場名が一致していない理由について『新撰滝上町史』では「オチンナイでは音がおかしいからである。」としている[2]。
