離宮院跡
From Wikipedia, the free encyclopedia
斎宮の斎館および勅使の宿舎、ならびに神宮司・諸司の官舎駅馬院などがあった。大神宮の御厨も構内に含まれていた。
元は山田原沼木郷高河原(現在の伊勢市宮後、月夜見宮のあたり)にあったが、水害によって延暦16年8月この地(湯田郷宇羽西村、現在の伊勢市小俣町)に移転させられた。天長元年に多気の斎宮が不便なために離宮院を斎宮にあてたことがあった。鎌倉時代以降、斎宮寮の廃絶によって次第に荒廃した。
参宮線宮川駅の設置により破壊されたが、当時の遺阯である土居の痕跡が残存していた。

隣設して官舎の鎮護神である官舎神社(延喜式内社)があり、同神社は離宮院阯の所有者でもある。
824年から839年までの15年に渡って斎宮がこの地に移転された。800年頃には、斎宮は行政部門を持った500名を抱える一大官庁街となっていたが、ここにあった大神宮司とあわせて、東西900m南北400mの大規模なものであったという。当時の役所群は、現在の宮川駅から外城田川に渡る小俣町中心域に拡がっていた。
