雷お新
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全身に刺青を入れた女盗賊が、幕末の大阪でその名を轟かせた。彼女の名前は、雷お新(かみなりおしん)。背中には、溪斎英泉の浮世絵「北条時政」、尻には竜、股から腿にかけては岩見重次郎の大蛇退治の図、腹には『水滸伝』の豪傑のひとり、九紋龍史進、右腕には金太郎、左腕には4名の人物画。全身に隙間なく、豪華絢爛な刺青が施されていた。
1850年(嘉永3年)、お新は土佐藩の武士の家に生まれる。次々と縁談が持ち込まれるほど、近所でも有名な美少女だった。1867年(慶応3年)、18歳のころに結婚するが、なかなか相手の家になじめず、すぐに離縁を言い渡される。行くあてもなく家出を決行したお新は、幕末の動乱の中大阪へと向かう。頼る者も金を稼ぐ術もなく、町中で万引きや恐喝など悪事に手を染め始めた[2]。
2、3年後、盗賊「雷お新」の名前は大阪中に知れ渡り、たくさんの子分を従え「姉御」と呼ばれ慕われた。お新は全身に刺青を施し、派手な入墨姿で注目を集めた。刺青を入れたあと、彼女はますます大胆な犯行に手を染めるようになり、その美貌で金持ちを宿に誘い、着物を脱いで刺青を見せつけ脅すという手口を使った。被害者には伊藤博文も含まれていたと伝えられる[3]。
一方で京都の旅館で西郷従道が酔って寝ているところを脅そうとしたが、従道が自身の刺青を見せ返したところ、お新は恐れ入ったように逃げ帰ったという逸話も残っている[4]。
1874年(明治7年)、お新は25歳で強盗罪により逮捕され、終身刑を言い渡された。1882年(明治15年)、暴風雨の日に脱獄し、翌年再逮捕。その後赦免を受け、東京で再び窃盗や恐喝を繰り返し、再逮捕されている。1890年(明治23年)、流行り病にかかり40歳で死去した。
刺青
当時の記録によれば、左右の腕の肘まで、胴は首の付け根から腹の下まで一直線に切り開き、両足は関節部から踵まであった。首から肘まで一尺八寸(54.5cm)、胸囲二尺(60.6cm)、股から膝下二尺二寸(66.7cm)で、大柄な女性だったことがわかる。
- 背中:弁財天と北条時政(溪斎英泉作の錦絵「北条時政」の写し)
- 尻:雲を呼ぶ六角の蛟竜
- 左右の股:岩見重次郎の大蛇退治
- 腹:九紋竜史進、花和尚魯智深の深彫り
- 右腕:金太郎
- 左腕:人物四人と緋桜の大彫物
異説・伝承
死後と標本
お新は死の間際、「全身の皮膚をナメシ革にして、私の自慢の刺青を、永遠に残してくれ」と遺言したとされる。明治23年(1890年)ごろに病死し、遺言のとおり全身の皮膚は剥がれてナメシ革とされ、大阪医学校(大阪医科大学の前身)で保存された。
『近世悪女奇聞』によると、大正3年(1914年)ごろ、大阪天王寺公園で開催された衛生博覧会や、神戸新開地での衛生博覧会に出品された。展示室では「花柳病と出産に関する飾り付け」がされており、その中でもっとも妖異だったのが雷お新の全身皮膚であったという。1912-1926年の大正年間には各地の博覧会で展示されたほか、1921年(大正10年)9月12日付の読売新聞には、警察展覧会で「毒婦雷お新の入墨した鞣皮」が出品された旨が記されている。
その後、雷お新の刺青標本は第二次世界大戦の戦災で失われた、あるいは見世物商人(香具師)の手に渡ったとの説があり、現在は所在不明である。
評価
雷お新は「毒婦」として明治期の都市伝説的存在となり、綿谷雪『近世悪女奇聞』、朝倉喬司『毒婦伝』などで紹介されている。後者では「標本ではなく香具師の見世物として各地を巡った」とも記されている。