雷神隊
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編成迄の経過
編成経緯
北越戦争
鯨波戦争が始まると新政府軍は海道と山道の分進策を採った。4月27日、鑑三郎率いる雷神隊は海道から進撃する新政府軍と交戦、地の利を得て薩長の突破を許さなかった。夕刻となったことで同盟軍は番神堂に退き、新政府軍も一旦は東の輪まで進んだが兵の疲労が大きく、鯨波まで後退した。28日には、新政府軍の別働隊により山道の会津軍が撃破されたため、桑名軍も撤退した。
北越戦争では5月10日、長岡・会津・桑名藩が朝日山と榎峠を奪取した。新政府軍は榎峠を奪回するため朝日山の確保を目指し、13日、前線を離れていた山縣有朋の代わりに時山直八が新政府軍を率いて会津軍を攻撃する。しかし、鑑三郎率いる桑名軍の猛射を浴びたことで時山は戦死した。その後は両軍ともに攻め手を欠き、砲撃戦に終始した。
それからも雷神隊は攻防を続けたが戦局は不利になる一方であり、新潟港が制圧され、長岡城も陥落したことで、佐川官兵衛と共に会津に退却する。
解隊
参考文献
- 歴史群像シリーズ39『会津戦争』学習研究社、173頁。