雷門喜助
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名古屋生まれということもあって、1963年、まずは名古屋にいた初代雷門福助に入門したが、しばらく後に八代目雷門助六門下に移り、喜助を名乗る。
前座時代からラジオ番組でレギュラーを務めるなど売れっ子となったが、その反面で落語の稽古の時間が取れなくなり、未熟なままの芸に悩むようになる。本人曰く「売れるのも速かったが、落ちるのも速かった」。数年後には、所属していた日本芸術協会(現:落語芸術協会)を飛び出してしまったため、東京での定席に上がることもできなくなり、廃業同然となってしまう。
わずかな荷物を持って東京駅へ行き、たまたま岡山行きの新幹線に乗ったことがきっかけで、以来、岡山県在住となる[2]。やがて岡山でも落語家・タレントとして活動を始めるようになり、その活躍ぶりが師匠の八代目助六の知るところとなって、1988年に師匠が真打と認定するという異例の形となった。2001年、ホームヘルパー2級の資格を取得。交通栄誉章縁十字銅賞を受賞。
現在も岡山県を拠点とし、「お笑い赤坂亭」頭取として毎月寄席を開催するほか[1][3]、全国各地で落語会、講演会を行っている。