青園謙三郎

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青園 謙三郎(あおぞの けんざぶろう[1]1917年〈大正8年〉6月3日 - 1993年〈平成5〉3月2日[2])は、福井県郷土史研究家実業家位階従五位。身をマスコミ業界に置きながら、生涯にわたり郷土の歴史を研究した[3]。郷土史に関する著作が多くある[4][5]

1963年(昭和38年)4月、個人蔵の紙本著色柴田勝家像を発見した[6]

特別史跡一乗谷朝倉氏遺跡の保存には、金沢大学法文学部教授・井上悦夫の奔走と福井県教育委員会の迅速な対応があったが、その際、青園も関係していた。すなわち1970年(昭和45年)8月18日、井上が農業構造改造事業の工事で遺構が破壊されていることを発見し、その夜当時福井テレビ副社長であった青園を通じて、須知邦武副知事に工事中止を申し入れたのである[7][8][9]

著書『松旭斎天一の生涯-奇術師一代』は、2012年(平成24年)2月時点で、松旭斎天一に関する唯一の纏まった伝記である[10]

1978年(昭和53年)に発行された『福井空襲史』の編集委員長を務めた[11]

経歴

著作

脚注

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